2012年2月26日日曜日

私のジャズ(60)

アメリカが輝いていた頃
松澤 龍一

仮のものです。

                      










昔、アメリカでは娘がフランク・シナトラに熱を上げると危ないが、ペリー・コモなら安心と言われていたそうだ。確かにフランク・シナトラはちょっと不良ぽい。(そこが魅力でもあるのだが) ペリー・コモはまさにアメリカの良きパパそのものである。アメリカが一番輝いていた頃のことである。戦後の香りがまだ残っている頃の日本に、白黒のテレビを通じて知らされたアメリカの豊かな生活、「パパは何でも知っている」とか「うちのママは世界一」などのホーム・ドラマで見る大きな家、リビング・キッチン、大型冷蔵庫、一人一台の車、そして陽気なパパ、ママ、高校のダンス・パーティーそしてデート、どれもこれもお伽の国の出来事であった。冷戦や人種差別を陰の部分としてもつにせよ、あの頃のアメリカは人類がこの地球上に築き上げた最大の楽園と言っても言い過ぎでは無いように思える。

ペリー・コモ・ショー、16年続いた長寿番組だった。日本でも放映されていた。ペリー・コモの温厚な語り口、ふくよかな歌声、どれをとっても、今の時代では刺激的ではないが、なにか心が温まる番組であった。アメリカのショー・ビジネスで活躍している芸人や、時々、出演するジャズ・プレーヤーに触れるのも楽しみの一つだった。

下記音源は1954年のペリー・コモ・ショーの一場面である。出演の男性はみんなきちっと頭を分け、スーツにネクタイ、女性はワンピースと、実に時代を感じさせてくれる。あの頃はジャズ・ミュージシャンでもステージは全員スーツにネクタイであった。1954年と言えば、その一年前の1953年にメンフィスでエルビス・プレスリーが初録音をしている。時代はロックに雪崩打つ直前であった。