2012年3月11日日曜日

私のジャズ(62)

大道芸
松澤 龍一

「日本の放浪芸-小沢昭一が訪ねた道の芸・街の芸」
(ビクター VICG-60235)














音楽が音による感情の表現とかメッセージの伝達と定義するのであれば、咽を中心とした人体が楽器であり、それに簡単な打楽器を加えたものが、原初的な音楽の表現形態と言えよう。この音楽を享受する聴衆との距離も極めて近い。多くは道端とか広場、門付といった玄関先であった。上掲のCDでは、小沢昭一が浪花節の源流を辿っている。「浮かれ節」、「五色軍談」、「デロレン祭文」、「江州音頭」、「阿呆陀羅経」、「ほめら」など、どれをとっても、錫杖、小さなほら貝か小さな木魚などで伴奏をとり、大きな声でシャウトする。今年初めにアップした朝鮮半島のパンソリのようでもある。
この表現形態に一大変革期が訪れる。それは、電気と言う近代の魔術である。マイクロフォン、レコード、ラジオなどが発明され、これらの大道芸は大衆演芸として全国的に広まる。これに上手く便乗して一世を風靡したのが二代目の広沢虎造と言う浪曲師であった。特に森の石松の「酒飲みねえ、寿司食いねえ、江戸っ子だってね。神田の生まれよ」は有名な件であるが、今聴いてもとても面白い。


父親から、虎造を劇場に聴きに行ったが、声が小さくて良く聞こえなかったとの話を聞いたことがある。事実、あまり声量のある方では無かったらしい。
永井荷風は『濹東綺談』で主人公の大江匡にこう語らせている。「...此の物音の中でも、殊に甚だしくわたくしを苦しめるものは九州弁の政談、浪花節)、それから学生の演劇に類似した朗読に洋楽を取り交ぜたものである。ラディオばかりでは物足らないと見えて、昼夜時間をかまわず蓄音機で(流行唄を鳴らし立てる家もある...」 浪花節は、その当時ラジオの普及に乗って流行り出した新しい演芸であったことが良く分かる。荷風が嫌うのも宜なるかなである。
さて、今、はまっている大道芸である。ぜひ見てもらいたい。



「サーカスの唄」、亡き母が首に汗ふきのタオルを巻きつけて、内職のミシンを踏みながら良く唄っていた。
もう一つ、