2012年5月13日日曜日

私のジャズ(71)

ブロッサム・ディアリー
松澤 龍一

 Blossom Dearie (Verve POCJ-1910)












ブロッサム・ディアリーはヨーロッパの女流ジャズ・シンガーだと思い込んでいた。ちょっと癖のある英語、フレージング、写真の容貌、どれをとってもアメリカ人では無い。ところがニューヨークの郊外で生まれたれっきとしたアメリカ人だった。母がノールウェイ人とのことで、どことなくヨーロッパ系の香りがするのかも知れない。さらに彼女のジャズ・シンガーとしてのキャリアはパリのナイト・クラブで始まり、当地で暫く音楽活動を続けていたとなれば、私の誤解もあながち的を大きく外したものでは無いと思う。

さらに、彼女はヨーロッパでベルギーのサックス、フルート奏者のボビー・ジャズパーと結婚していた。ボビー・ジャスパーと言えば、ウィントン・ケリーの名盤「ケリー・ブルー」でファンキーなプレイをしていたあのボビー・ジャスパーである。彼のこともベルギー生まれの黒人とばかり思っていたら、白人系のベルギー人らしい。「ケリー・ブルー」での余りに黒人ぽいプレイに惑わされてしまったのだろう。

上掲のアルバムはヨーロッパでノーマン・グランツに見出されて、アメリカに帰り録音したもの。サイドメンが素晴らしい。ギターがハーブ・エリス、ドラムがジョー・ジョーンズで、彼女はピアノの弾き語りで、そしてベースがレイ・ブラウン。やはり、レイ・ブラウンが加わると、スイングする。ドラムが邪魔になる。ブロッサム・ディアリーも持ち前の舌足らずな唄い方で思う存分スイングする。快演である。

村上春樹が「私の秘蔵盤」として紹介したレコードがある。ブロッサム・ディアリーが1963年に録音した ROOTIN'  SONGS  と題されたレコードである。何でも、ある飲料メーカーの販売促進用に作られたものだそうだ。その中から彼女の唄うボサノバを聴いてみよう。共演しているフルート、サックス奏者はボビー・ジャスパーなのかはっきりしない。1963年録音となれば、彼女はボビー・ジャスパーと別れているはず(離婚あるいは死別?) 彼女は2009年にこの世を去った。死因は老衰。ジャズ・プレーヤとしては類希な幸せな人生を全うしたのだろう。彼女のホーム・ページが今もある。

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