2012年8月26日日曜日

尾鷲歳時記(83)

飛行機今昔
内山思考

赤とんぼ少年親を濃く離れ  思考

文字の洋上を飛ぶ鋳物の戦闘機









飛んでいる飛行機を眺めるのが好きで、たまたま見上げた空の高見に旅客機が白い尾を引いていたりすると、時間の許す限り目で追ってしまう。地鳴りのようなジェット音が大きく小さく高く低くあたりに満ちるのも好ましい。これがヘリコプターだと興味がない。音もうるさく感じられて早くどこかへ行ってくれ、と願うことが多い。今、話題になっているオスプレイももう一つスマートさとデリケートさに欠けている気がしてならない。要するに、滑走路を滑るように加速して舞い上がり、空間に在るときは滑らかに飛翔し、その後、再び滑走路に美しく降り立つあの姿がかっこいいのである。

夜、二階の僕の寝床から足元の北の窓を見ると夜間飛行のランプの点滅が闇を横切るのがよく見える。それもまた優雅だ。ちょうど左手(西)の便石山(びんし)から右手(東)の天狗倉山(てんぐらさん)の上空が航路のようで、名古屋のセントレア空港か関東方面へのフライトだな、機内はどんな様子だろう、と想像したりもする。枕に頭を乗せていても見えるので、僕にはとても贅沢な楽しみの一つである。

彼方に思いを至らせるのはメンタルな鎮静効果もあるらしく、僕に眠れない夜はまずない。飛行機と言えば、僕が愛用している文鎮の中に、鋳物製の戦闘機がある。戦前あるいは戦中の玩具のようで、適当な作りなのがかえって時代を感じさせる。


ずいぶん前、妻の従兄が尾鷲に空爆があった日の話をしてくれた。尾鷲湾に停泊していた軍艦が標的だったそうだが、天狗倉山の後ろから敵機(グラマン?)が現れて山腹を這うように急降下、機銃掃射して行った、と身振り手振りで、従兄には昨日のことのように思われるらしかった。

この山を越えて米機が来襲した
その時の一機が沖に墜落、しかし幸運にも生還したパイロットが、今年六十数年振りに来鷲し、軍艦(敵機攻撃により浸水着底)の乗組員と再会するニュースもあった。墜落して海に漂っていた時、近づいてくる日本の船に捕らえられたら殺される、と必死に沖へ泳ぎ、米軍の潜水艦に救助されたのだそうだ。そんな戦闘があったとは思えない今の尾鷲の空と海と山。