2012年8月12日日曜日

芳賀徹氏とあまたの詩歌

宇多喜代子

表彰式:左は宇多会長(当時)









第十二回の現代俳句大賞の受賞者が、芳賀徹氏に決った。芳賀氏は、比較文学、比較文化専攻の学者として知られたかたで、その観点視点からの詩歌への言及は、狭い枠内での評価、鑑賞に自足しがちな俳句の世界に戸外の風を送り込む発信者として貴重な存在だ、という選考委員の意見のまとまりをもって決定した。
 


東京大学の教授時代から今日に至る間に出された芳賀氏の著書や編著には、素人読者の歯には適わないものがほとんどだが、そんな中に、たとえば『みだれ髪の系譜』『絵画の領分 近代日本比較文学史』『与謝蕪村の小さな世界』『文化の往還 比較文学のたのしみ』『詩歌の森へ 日本詩へのいざない』『ひびきあう詩心 俳句とフランスの詩人たち』『藝術の国日本 画文交響』などがあり、その書名を見ただけで、わかってもわからなくても読んでみたいと思われてくる。

これらは、自分たちには遠い学問だと思っていた「比較文学」というジャンルを身近に感じさせ、俳句が俳句だけで立つ魅力の近隣にはさらなるおおくの魅力をもったものがきらきらしているのだということに気づかされる。いずれも難しいことが易しく書かれており、安心して読むことができる。

たとえば幾年か前から私の本棚にあって、幾度も繰った『与謝蕪村の小さな世界』である。まるで蕪村が現代に生きている俳人画人であるような親しみを感じさせ、小さな俳句から大きな世界に広がってゆく蕪村の魅力の虜になる。

蕪村の「春風馬堤曲」の解釈など、
  歳旦をしたり皃なる俳諧師

の蕪村自身と、うきうきした薮入り娘の登場する芝居の場面のように展開する。画人蕪村ならではのシナリオであることが、よくわかるように解釈されている。

一人の猟師が、細い道を通り洞窟を潜って出くわす平和で幸せな村里桃源郷。芳賀氏は、桃源郷を「東アジア文学における楽園のトポス」として、多くの絵画を探索し、文人であり画人である蕪村を、近代日本における桃源郷再発見の動きの中のパイオニアの一人だとする。この論考からは、「想像の力学」という俳句の読みが示唆され、一句の読みを判で押したような印象批評や、重箱の隅をつつくような技術批評だけで終える俳句の鑑賞をもう一歩進めるおもしろさを教えられる。

一句からの「想像」は、同書の「蕪村絵画における桃源郷」の、
  桃源の路次の細さよ冬ごもり蕪村
  商人を吼る犬ありもゝの花
  初午や鳥羽四ッ塚の鶏の声
などに見える「桃源郷のトポス」へ同行することや、
京都の細い路地に愛着する「籠り居の詩人」蕪村の相伴をさせてもらうなど、俳句を多角的に楽しむヒントがちりばめられている。

親しみやすいもう一冊は『詩歌の森へ 日本詩へのいざない』であろうか。古今の名だたる「詩歌」一篇を取り上げ、それに纏わる掌論を付したもので、どこからでも読めるという気軽さがある。それでいて時代や国、ところを超えて一つの詩にもう一つの詩を並べて、ことばのおもしろさや、古典や外国の詩人のエッセンスを二倍にも三倍にもして伝えてくれる。

徳川日本を対象にして考えただけでも、「比較文学史研究は日本文化の全ての局面に及びうるのであって、それだけに屈伸自在、まだ当分は輪郭鮮明なスタイルももちえなければ、正式の必要手続きといったものもありえない。要するに、世にいわゆる史学者のようにはじめから一定の史観と『史学研究法』とで実を鎧い、すでに大体きまっている結論の方向に従って、モグラのように史料の山にもぐりこんでゆく ―― ということをしなければよいのである。」『与謝蕪村の小さな世界』

「比較」操作をより立体的に、新鮮に行う基本とでもいえようか。いま、俳句をつくり、俳句を読む私たちに必要なことも、ここにある。対象にする詩歌が徳川時代のものであっても、いまのものであっても、同じであろう。

比較文学の造詣を基盤において外国の文化詩歌を忌憚なく語る。陶淵明の隣にフランスの詩人がいたり、ブラウニングの橫に蕪村がいたりすることが少しも不思議ではない視点で、俳諧俳句を国際的に展開させる。

俳句の国際化が言われるようになって久しいが、真の国際化への門扉はまだまだ広く開いてはおらず、一部の先駆的な方々に委ねられているいま、芳賀先生にご教示いただくことが多くある。

現今の海外の俳句の隆盛と、いささか方角のちがう日本発の海外俳句。その齟齬を埋めるのは、やはり「海外俳句」の真の理解者であろう。その意味からも、現代俳句大賞を受けていただくにふさわしい方に受けていただけたと喜ばしく思う。

後の俳句を担う青年たちには、練り上げられた学識をお持ちの先行の、ゆたかな感性からうまれた発信を存分に受け取り、ぜひ今後の諸氏の俳句のためにおおくを学んでほしいと思う。