2012年9月23日日曜日

尾鷲歳時記(87)

あまり怖くない話
内山思考


炭焼きのちょい寝ちょい寝や秋あかね  思考

雪と女は絵になる(怪談屋妖子より)



















山川蝉夫(高柳重信)の句

淋しい幽霊いくつも壁を抜けるなり  蝉夫

が好きでよく口ずさんでいる。幽霊は夏の季語だと言うが、それは納涼に利用しようとする生者の都合で、この句などは乾いた秋の空間を想像させる。或いは秋思が高じた生き霊かも知れないし、とにかく、幽霊は恨めしいと言うより淋しいものなのかも知れない。

子供の頃、文句無しに怖かったのは実家の二階の柱に掛けてあった達磨の絵だった。祖父の厄祝いに俳人仲間から贈られた物で、白樺の丸太を斜めに挽いた長円状の板に、濃い顔料で達磨の上半身が描かれていて、その眼光の鋭さは半端ではなかった。大人になってからでも気になったぐらいだから、子供には恐怖以外の何者でもなく、孫たちのあまりの不評のゆえに、いつも裏返しにされていた。多分今もその状態のままかと思う。

ところで、怖いけど美しいのは雪女、というイメージを決定づけたのは昭和40年に封切りされた映画「怪談」・監督小林正樹、であろう。この作品で岸恵子さんが演じた雪女は寒気がするほど綺麗だった。どこで観たのか覚えてないが、雪女の裸のシーンもあって、ほんの一瞬なのに思考少年はドキドキしたものである。しかし後で考えると、エロチックな場面だけ代役のようであった。

小泉八雲原作のその映画には「耳なし芳一」の話もあり、中村賀葎雄さんが芳一を熱演、亡者の大将役の丹波哲郎さんも迫力満点であった。物語の中で芳一が荒波寄せる岩頭に佇むところがあって、実は撮影を僕はリアルタイムで見ていた。確か中学一年の時で場所は和歌山県太地町の燈明崎の近く、何故か野次馬は僕と中学校の先生の二人だけだった。スタッフがバケツに汲んだ潮水をしきりに芳一の足元にかけていた記憶がある。


紙粘土製の真実の口
右は青木三明上人
もう一つ、数年前、映画イベントのために「ローマの休日」に出て来る「真実の口」を知人と拵えた時のこと。出来映えは上々だったのに、口の部分を切り取っておかなかった為に、手を入れられないから怖くないわ、とヘップバーン世代の女性に言われてしまった。