2013年5月12日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(123)

山手線・日暮里(その23)
根岸(上根岸82番地の家⑧「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

日清戦争












都区次(とくじ):子規は新聞『日本』の子会社の新聞『小日本』の編集長として洋画家の中村不折と知りあったり、得意の絶頂だったでしょうね。

  廃刊の『小日本』青葉闇  大森久実

江戸璃(えどり): ところが日清戦争の開戦前後の緊迫した状況下で、発行停止の度重なる新聞『日本』では新聞としての機能が果たせないと、ついつい過激な記事を新聞『小日本』に載せ、たちまち弾圧を被っちゃったのよ。弾圧による発行停止の打撃は、新聞『日本』より『小日本』の方が大きかったのよ。
都区次: それは、どういう訳ですか?
江戸璃:新聞『日本』は言ってみれば、過激記事が売り物のような新聞で、読者もそうした傾向で、発行停止を手柄のように見て、停止期間が過ぎれば、また購読してくれるわね。ところが家庭向けの『小日本』では発行停止などで届かなくなれば、二度と購読はしてくれないわね。結局、明治27年7月に廃刊よ。そんなことで『小日本』に出向していた記者達は、再び『日本』の職場に戻り、編集長であった子規は、ただの平記者に逆戻りしちゃったのよ。
都区次: そのとき子規はどうしましたか?
江戸璃: 親会社『日本』の編集長・古島一雄に、どうにかならんかと喰ってかかったわよ。どうにもならん、と言われて落胆したそうよ。その後の行動は次回に話すわね。
都区次:ところで、今日は日暮里からどこへ行きますか?
江戸璃:今日は神田祭だから、見物がてら神田でお昼を食べましょうよ。

神田祭









天野屋の堅き木椅子や祭笛 長屋璃子(ながやるりこ)
禿白髪加はり入り神輿揉む 山尾かづひろ