2013年6月2日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(126)

山手線・日暮里(その26)
根岸(上根岸82番地の家⑪「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

五百木瓢亭













都区次(とくじ):子規は従軍記者を志願しましたが、周囲は反対したでしょうね?
江戸璃(えどり):病身だから、周囲はもちろん反対したわよ。子規は説得を重ねた揚句の決定だったのよ。「行かばわれ筆の花散る処まで」と従軍に際して覚悟のほどを句にしているわね。
都区次:穿ったものの見方ですが、当時、従軍記者を経験すれば一皮も二皮も剥けたというような状況があったのですか?

 瓢亭の従軍日記五月晴 畑中あや子 

江戸璃:そういう状況はあったでしょうね。また、身近に丁度よい例があったのよ。子規とは本郷の常盤会寄宿舎時代からの俳句仲間で、子規が新聞『小日本』の編集長のとき記者として使った五百木瓢亭(いおきひょうてい)は明治27年8月1日に日清戦争がはじまったため看護長として従軍したのよ。そして子規に勧められて、犬骨坊の筆名で「従軍日記」を新聞『日本』に寄せ、文章の中に俳句を入れたことが好評で文名を高めたのよ。
都区次:子規が従軍記者を志願したのは瓢亭の影響ですかね?
江戸璃:ほぼ間違いないわね。
都区次:ところで今日は日暮里からどこへ行きますか?
江戸璃:久しぶりの晴天だから上野の不忍池でボートに乗ってみない?

不忍池ボート










街の音蓮の浮葉に吸はるごと 長屋璃子(ながやるりこ)
対岸の弁天堂も梅雨晴間   山尾かづひろ