2013年12月29日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(156)



山手線・日暮里(その56)
根岸(上根岸82番地の家(40)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 


本行寺山門









都区次(とくじ):経王寺の次はどこへ案内してくれますか?

門前の四つ角となる暮早し 小熊秀子 

江戸璃(えどり):経王寺の門前は四つ角になっていて、諏訪台通りを進めば荒川区から台東区へ変って初音通りへ入るわね。左へ行けば御殿坂から日暮里駅へ行くわね。御殿坂の由来は輪王寺宮の御隠殿があったからだそうよ。別名は乞食坂で、周辺に乞食が多かったことによるそうよ。それでは日暮里駅手前の本行寺へ行くわよ。本行寺の山門を入るとすぐ「月見寺」と書かれた石標があるわよ。その右の枝垂桜の下には、寛延3年(1750)建立の道灌丘碑、もう一つ奥には一茶の句「陽炎や道灌山の物見塚」が刻まれた巨石が置かれているのよ。昔の本行寺の境内は、現在の京成電鉄の敷地まで及び、その高みに物見塚があったのよ。庫裏の前には梨の大樹があって時季になるといちめんに花をこぼしてね。墓地の最奥には、幕臣ながら明治政府に仕えた永井尚志の墓碑があるのよ。本人の戒名の両側に、「大姉」とつく女性の戒名が並んでいるのね。私はピンときて妻妾同居かと思って両方の「大姉」を指差しながら大矢白星師に(これは妻妾同居ですよね?)と目で尋ねたのよ。白星師は1920年代の東京生れの東京育ち私の目を見て何を言っているのかお分りになるのよ。憚りながら。白星師も目で(そうでしょうなあ)とお答えになったのよ。そうしたら一行の中の地方の旧家出身の奥様が「私の田舎にはこういう墓があり、先妻と後妻の筈ですが」と仰ったのよ。墓碑を見たら一人は天保14年(1843)もう一人は明治27年(1894)と彫られていたわね。でも、こういうのは「先妻と後妻」より「妻妾同居」の方が面白いわよね。
都区次:ところで今日はどこへ行きますか?
江戸璃:「天ぬき」で熱燗が飲みたくなっちゃった。池の端の藪蕎麦に行かない?
都区次:いいですね。行きましょう。

一茶の句碑










短日や尾灯飛びゆく風の中  長屋璃子(ながやるりこ)
冬日濃し初音通りの神輿蔵  山尾かづひろ