2014年3月30日日曜日

尾鷲歳時記(166)

卯月の風光 
内山思考

交錯す旅の途中の蝶と我 思考 


こんなペースで暮らしたいが













最近、長時間の運転が多く、高速走行をしていると弥生から卯月へと流れる景色を透明なトンネルの中から見ているような楽しさがある。空の青さ、野山の緑、河川の輝きなどがいよいよ本格的な春の舞台を拵えて、さあ虫よ獣よ、ついでに人間よ存分に命を謳歌せよと促しているようにも思える。

そんな道中に何を考えるかというと、運転の方は搭載したナビと視覚にまかせて置けば、あとは手と足が勝手に動いて僕と用事を目的地まで届けようとしてくれるから、例えば句会に行く日は、そのための俳句をまず作ることに専念する。そして風景と連想と記憶をブレンドしながら考え考え、数句出来れば次はラジオを聴くことが多い。CD機能はもうずいぶん前から調子が悪く、ディーラーにそう言ったら、修理するにはナビも含めた一式を外してメーカーに送る必要があると言うので放ってある。

その点ラジオ電波は常に新鮮だ。奈良大阪方面に行けば関西弁の、東海地方を走れば名古屋弁のDJが聴けるから退屈する事はないし、トークや音楽がつまらなければ周波数を変えればいい。時には肌に合い耳に馴染む曲がかかるときもあれば、講釈のタネになる雑学を授けてくれることもあり、かと思えば、興味深い思考の扉が開いてどんどん想像が膨らむ場合もある。そんな時はラジオのスイッチを切る。


鳥越先生の評伝と頂いたハガキ
先日の思考のテーマは古い写真についてだった。この冬、沖縄の書店で「琉球おもろ学者・鳥越憲三郎(著者、山口栄鉄)」を見て僕は「あれ、学者さんだったのか」と驚いた。昭和三十年代、水原秋桜子が十津川村にやって来た時に案内役を仰せつかった祖父が、ご一行と共に収まった写真が残っていて、その中に飄々とした鳥越憲三郎さんの姿があった(裏に記載あり)。二十年ほど前、焼き増しして鳥越さんに送ったら礼状を下さった。あの写真とハガキは一体どこに・・・・、と帰ってから方々探したが結局写真は見つからなかったという話。