2014年6月15日日曜日

尾鷲歳時記(177)

薬の話
内山思考 

手のひらに錠剤増えて夏至近し  思考

恵子は病院食のメニューを
全てとってある









血圧の高い家系やから薬を飲まなあかんよ、と元気な頃の母はよく言っていた。母はずいぶん若い内から降圧剤を服用していたようだ。うん、その内にと返事しながら、僕は自分の身体についてはまったくの無関心、風邪ってどうやって引くの?引き方忘れた、と冗談を飛ばすほどの丈夫さを売り物に還暦を迎えようとしていた。たまに、背筋がゾクゾクすることがあっても、どんぶり飯の二杯も掻きこみ、全身の筋肉にエイッと力を入れて寝れば朝には元気体に戻っている。それが普通だと思っていたのだ。

まさかその代わりというわけではなかろうが、妻の恵子は病院通いが欠かせなかった。

健康を分けてはやれず遠蛙  思考

しかし彼女は持ち前の負けん気とポジティブ指向で、幾多の病を乗り越えて来た。今回の腎移植もそうである。そんなタフさが売り物の僕が、しばらく上気が続くので、地元の病院にいやいや出向いたのが二年前、血圧を測った途端に医者は「あ」と言い、看護師は「わ」と応じた。数値は「240-110」、その場で無条件に薬を投与された僕は、以後、朝二錠の服用を日課としている。「あーた(貴方)、このまま入院して貰ってもいいぐらいですよ」とその時医者は言ったものだ。試しに今、測った血圧は「127-64」である。

運転中の秘薬?
なんと百歳
さて薬と言えば、懐かしく思い出すのがまず「ビオフェルミン」、健胃腸薬だったか薄甘くて、ポリポリ噛じった。あとスカボール、ペニシリン、オロナインは軟膏。「ペニシリン身の隅々に夏は来ぬ・悟朗」は注射の方だろう。中学教師の父は薬剤師でもあったから、家族が風邪を引いた時は葛根湯を煎じてくれた。あの独特の香りと大陸から訪ねて来るような甘さは、風味ならぬ風格すら感じさせたものだ。いまでも葛根湯の文字を見ると、台所で土瓶をガスにかけている父の姿と、部屋いっぱいに立ち込める薬草の匂いを思い出す。ところで、僕の薬に尿酸値抑制剤が追加されることになった。