2014年7月13日日曜日

尾鷲歳時記(181)

河童の声が 
内山思考 

胡瓜揉み少し水掻きらしきもの  思考

工藤克巳句集
東奥日報社














東北から興味深い一冊の本が届いた。「工藤克巳句集」である。青森にお住まいの工藤さんは「白燕」以来のお付き合いで尊敬する大先輩だ。二十年前、僕が和田悟朗さんに憧れて「白燕」に入会し、最初に手にした同誌(333号)に紹介されていたのが工藤さんの第一句集「アダムの林檎」だった。そして鑑賞文を書いた柿本多映さんが冒頭に置いたのが 

 死木もて死木たかぶり台風来  克巳

この一句を見た時、僕は思わず声を発した。何という力強さだろう。まるで自然の猛威の中であの世とこの世が繋がっているような迫力がある。参ったと思った。身の回りのもろもろを机上に一つづつ並べて行く、そんな句作りしか知らなかった僕は、まるで150キロのストレートをいきなり頭上に投げられた草野球のキャッチャーみたいだった。ああ、この世界(俳句)は甘くないなと感じた記憶が懐かしい。

その後、工藤さんは第二句集「十七音のアラベスク」を出され今回の「工藤克巳句集」に至ったわけである。緑を基調とした装丁は目に優しい。青森の野山は海はこんなイメージなのであろうか。表紙を繰って「謹呈 著者」の細い紙とまず対峙、

第一章「河童の声が」から読み始めた。
 帰る鳥海峡なかばにて暮れむ
 顔の長い女と話す蛙の夜 

第二章「芭蕉の女に」
 妻よりの水ながれくる溝浚へ
 籐椅子はあまたの孔でできており

第三章「アダムの如く」
 なかんづく最も遠い虫を聴く
 新米に位をつける係かな


四章「思想と四肢を」
 干菜湯に思想と四肢を伸ばしたり
 白は真にはげしき色や雪しまく

多映さんの句集評、白燕(平5)
ごく一部の抜粋からは、俳人工藤克巳の淡いシルエットしか浮かばないかも知れないが、戦後のバラック街を闊歩していた青春時代に、芸術に触れたことによる「精神的なほてり」が俳句を作り始めるきっかけだったとするあとがきには、衰えぬ想像力と充実感とが窺える気がした。しかし、実はまだ一度も工藤さんに直接お目にかかったことがない。