2014年11月9日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(201)

谷中(その10)
文:山尾かづひろ 

延壽寺本堂










都区次(とくじ): 前回は谷中の宗善寺でしたが、今回はどこですか?

神の旅気候不順も仕方なく  冠城喜代子

江戸璃(えどり): 今回も大矢白星師が8月のお盆休みに谷中を歩いた分のトレースの続きで、延壽寺(えんじゅじ)へ行くわよ。延壽寺は日蓮宗の寺院で第四代将軍徳川家綱の時代の明暦2年(1656)に開創されたのよ。その後、宝暦5年(1755)に身延山本坊より日荷上人像を勧請して現在も日荷堂に安置されていて、毎月一日と十日に開帳されているのよ。

都区次:その「日荷上人」とはどういう方ですか?

江戸璃:日荷上人は南北朝時代(1336~1392)の僧侶で出家前は横浜市金沢区六浦あたりにの裕福な商人だったらしいけれど詳しいことは分らないそうよ。その上人の「健脚の神様」として崇める偉業を伝える話が残っているのよ。ある夜、六浦妙法(日荷上人という尊称を授かる前の法名)の夢枕に仁王尊が現れてね「自分は称名寺の仁王だが改宗して身延山の守護神になりたい。お前の力で身延山へ送り届けてほしい」というお告げをうけたのね。称名寺にかけあったけれど、もちろん聞き入れてもえないわよね。そこで妙法はある夜、ひそかに山門から仁王尊二体(相当大きい)を担ぎ出し、それらを背負うこと三日三晩、横浜の地から富士山の裏にある身延山まで歩き通しに歩き、奉納に成功しっちゃったのよ。ことの次第を聞いて身延山の住僧はビックリ仰天よね。現在伝わる「日荷」の尊称は、このときの住僧が妙法の怪力と篤い信仰心に感激して授けたものだそうよ。「日」はもちろん、日蓮宗の開祖である日蓮大聖人から、「荷」の文字には「荷物」の他にも「任務」や「責任」といった意味があるそうよ。

日荷上人像









日を吸ふて古りし土塀に暮早し  長屋璃子
健脚の僧侶と伝へ石蕗の花    山尾かづひろ