2012年7月15日日曜日

尾鷲歳時記(77)

くだものの思い出
内山思考

手花火の光の中にみんな居る 思考

西の瓜と南の瓜












「ただいまあ、これもらった」 仕事から帰って来た娘が重そうな紙袋を差し出した。スイカとカボチャが入っている。漢字で書けば西の瓜と南の瓜である。同僚に貰ったのだそうだ。まだ梅雨も明けぬのに、どちらも歳時記では初秋の恵みである。俳句人にとってこの7月8月あたりの季節感が一番ややこしい。毎年梅雨明けになって「さあ、これからワイルドな夏だぜ」とタレントのスギちゃんのように目を輝かせても、8月になればすぐ立秋がやってきて、どこか心が萎えてしまうのだ。8月は晩夏だろう、と少年気分がいつまでも抜けない僕は今年もやっぱり愚痴りたくなってしまう。

さて、食べることの大好きな僕だが、くだものにはあまり執着がない。しかし思い出は沢山あって、例えばスイカは、十津川の実家で祖父母がよく作っていたけれど、なにせ急峻な傾斜畑だから、蔓を切った後幼い僕が抱き損ねたりするとあっという間に転がって、下の田んぼへダイビングしてしまった。その勢いのある軌跡は今でも目に焼き付いている。

桃剥きは
妻の子供時代
からあるそうだ
そして桃。小学校の講堂で見たパール・バック原作の白黒映画「大地」で主人公とヒロインが、もぎたての桃にかじりつくシーンがあり、それに感化された僕は、次に桃を食べた時皮を剥かずにかぶりついた。すると何とも歯応えがいい。しばらくそれを気に入っていたが、あとで考えると、映画で食べていたのはどうもスモモだったようである。そのスモモ、祖父の葬儀で供えてあったのを調子に乗って10個ほど食べたら、腹が冷えたらしく一晩中苦しんだ。あれも忘れられない。

ブドウは母の実家に遊びに行った時に、これも仏壇に供えてある甲州ブドウを一粒だけ、と思って口に入れたらあまりに美味しくてついに全部食べ尽くして母に叱られた。スイカでもう一つ、やはり母の実家で従兄が一つくれたのに、欲張ってもう一つくれ、と畑に入って一番大きなのを取ろうとしたらスイカと一緒に下肥を掴んでしまったのには参った。思えば自業自得の失敗ばかり、全ては遠い昔の出来事になってしまった。