2012年8月19日日曜日

私のジャズ(85)

東京はジャズの街
松澤 龍一


『サルトル哲学序説』
(竹内芳郎著 盛田書店)
















60年代から70年代にかけて、東京はジャズの街であった。あらゆるところでジャズが聴けた。ジャズが溢れていた。当時、ジャズ喫茶と呼ばれ、少し高めの煮しめた不味いコーヒーで数時間ねばれる喫茶店がそこいらじゅうにあった。

ハイライトを吸いながら黙々とジャズを聴いた。喋るとお店の人から怒られた。頭の中にあるお店の名前を手繰っただけで、上野にダンディ、いとうコーヒー、駒込に名前はド忘れしたが確かに一件、池袋はあまり記憶になく、早稲田にモズとフォービート、新宿は、ジャズ喫茶のメッカでディグにダグ、木馬、ニュー・ポニー、ビッレジ・バンガード、ジャズ・ビッレジ、生演奏もやるタローにピット・イン、お隣の代々木にはナル、渋谷はブラックホーク、ジーニアス、デュエットと道玄坂に集中し、有楽町には後に新宿に引っ越したママ、と山手線沿線でもこれだけ思い出せる。

面白い映像を発見した。当時のジャズ喫茶のマッチを集めたものである。



時は団塊の世代がちょうど大学生、全共闘運動華やかなりし頃である。これらの世代に支えられ、東京にジャズが花開いた。ジャズ喫茶でタバコの煙に燻されながらジャズを聴く、そして本を読む。その当時読んでいた本がたまたま本棚に捨てられもせず色褪せて飾ってある。竹内芳郎と云う東大の先生が書いたサルトルの『存在と無』の解説書である『サルトル哲学序説』と云う本である。

解説書とは言うものの超難解な本だった記憶がある。それでも「対自は即自をあらわしめる根源的な無であると同時に、他方では己れに先立つ即自の中にはじめから投げ出された存在でもある」なんてところや、その他色々と赤線を引かれているのを見ると理解しようと務めたには違いないが、恐らく何も理解できていなかったと思う。

その頃のジャズ喫茶で鳴っていたジャズは、ニュー・ジャズと呼ばれた前衛ジャズが多かった。アート・ブレーキーやキャノンボールなどは「コマーシャル(商業主義)」と言って軽蔑された。ボーカルなどはめったにかからなかった。

アルバート・アイラーはこの時代のスターであった。どこのジャズ喫茶に行っても必ずと言っていいほどアルバート・アイラーのレコードがかかった。むせび泣くように唄うアルバート・アイラーの「サマー・タイム」、今聴いても良いと思う。