松澤 龍一
BEETHOVEN SYMPHONY NO. 9 "CHORAL" (EMI CC35-3165) |
今回はジャズでは無い。クラッシックである。それも定番のベートーヴェン。交響曲第9番、一般に「合唱付き」と言われるもの。なぜかこの作品、日本では年末に演奏されることが多い。これは日本だけの現象のようである。でも、聴き通すと確かに年の終りに聴くにふさわしい。一年の出来事を振り返り、反省などもし、あるいはその年に亡くなった人を偲び、心穏やかに来年は良い年であるようにと祈る、とそんな気にさせてくれる作品である。これを年末に聴くべき作品と位置付けた日本人の感性は素晴らしい。
多くの指揮者がこの曲を演奏している。でも、この曲だけは、フルトべングラーがバイロイト祝祭管弦楽団及び合唱団を振った1951年の録音に尽きる。最弱音で始まる第一楽章、よっぽど耳を澄ましていないと出だしの音が掴めない。ブラームスの第四番の第一楽章の出だしでもそうだったが、良くこれだけの最弱音が出せると驚く。フルトベングラーのピアニッシモと名付けたい。
この後、第一楽章も、第二楽章のスケルツォも意外と淡々と続く。そして第三楽章。正に天上の音楽である。天国に音楽が流れているとすれば、正にこのような調べであろう。自分の葬儀にどのような音楽を流してほしいかと問われれば、文句無くこの第三楽章かモーツアルトのクラリネット五重奏である。
圧巻は第四楽章。「オー、フロイデ」に始まるソプラノ、アルト、テナー、バリトンのソロ、二重奏、三重奏、四重奏、それにかぶさる合唱の競演が続き、コーダ(終結部)へとなだれ込む。このコーダはすさまじい。強烈な音量とスピードである。オーケストラの各奏者はかろうじてフルトベングラーの棒に付いて行っている。時々、音が乱れる。そんなことはお構いなしにフルトベングラーはさらに早く早くと棒を振る。
バイロイト祝祭管弦楽団は臨時に編成された楽団で、いわば寄せ集め集団である。でもほとんどはベルリンフィルやウイーンフィルの常任奏者で、皆一流の演奏家である。フルトベングラーはそんな彼らが思わず乱れる程のスピードを要求する。完全な演奏とは言い難いかも知れないが、こんな熱気が伝わる録音も珍しい。実況録音であるから、なおさらである。
こんな逸話を聞いたことがる。ある音楽評論家が、たまたまカラヤンの指揮のベルリンフィルの練習を覗かせて貰ったことがある。練習をしている曲がある瞬間から変った。出す音も各演奏家の顔つきも急に変ったそうである。何気なく後ろを振り返ると、ドアの隙間からフルトベングラーが顔を覗かせていたと。嘘のような話だが、このようにカリスマ性と強烈な個性を持った指揮者はフルトベングラー以後、現れていない。