2012年12月2日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(100)

三田線に沿って(その15)正岡子規・高浜虚子
文:山尾かづひろ 挿絵:矢野さとし

本郷 東京大学














都区次(とくじ): 松山の虚子は本郷・常盤会宿舎の碧梧桐を介して子規と文通するようになったのですが、具体的にはいつからですか?
江戸璃(えどり): 明治24年5月23日付ではじめて子規に手紙を送ってね。「文学界」への情熱の一端を吐露して、子規に「教導訓戒」を願ったのよ。

 黄落の東大構内訪ぬれば 熊谷彰子

江戸璃:子規は28日に「国家の為に有用な人となれ」と、早速返信激励したのよ。虚子はこれに感激。子規の「美しい文字」と「立派な文章」は青年虚子の心をひきつけてね、傾倒の念を深めていくのよ。以後文通による交渉がはじまったわけ。この往復書簡は、正岡家に保存された虚子書簡42通、子規の通信と相応じて、書簡文学の新分野を開拓したものとして評価されているそうよ。

松山 道後温泉










赤門を後方(しりへ)にたたみ時雨傘 長屋璃子(ながやるりこ)
赤門を潜ってよりの大枯木 山尾かづひろ