神田界隈/神田川
文:山尾かづひろ 挿絵:矢野さとし
【神田川】
都区次(とくじ):それでは神田古書街の神保町より神田川の流れるお茶の水へ向います。
江戸璃(えどり):この辺りは元々、本郷台地と呼ばれていてね。台地が江戸城の目と鼻の先まで来ていたのね。江戸幕府を開いた後、徳川家康より江戸城をどこから攻めるか問われた仙台藩主・伊達政宗は「お茶の水」と答えたのよ。まだこの本郷台地は一つの台地で堀もなかったから敵が本郷台地を駆け下りるだけで江戸城に攻め込めるという相当危険な場所だったのね。徳川2代将軍秀忠のとき伊達政宗に神田川を掘らせて外堀にしたわけ。そんなわけで江戸期には伊達堀とか仙台堀と呼ばれたのよ。
都区次:お茶の水の明治大学の辺りを駿河台と呼びますがあれは何ですか?
江戸璃:かくして2つに分断された本郷台地の江戸城側は、家康付きの旗本(駿河衆)が家康没後に多くの屋敷をかまえたために「駿河台」と呼ばれるようになったのよ。維新後は東京湾を見渡せる眺望絶景の地で住宅地として再開発され、時の高官の邸宅が建ち並んだのね。ところがギッチョンチョン、東風だと東京湾に停泊している蒸気船の煤煙が神田川に流れ込むので衛生に悪いと次々に引越して行ったわよ。
都区次:神田川には橋が架かっていますが?
江戸璃:神田川はもともと軍事上の人工川のため、江戸時代を通じて橋は架けられなかったのよ。明治23年になってようやく橋が出来てこれは鉄橋で「お茶の水橋」と名づけられたのよ。お茶の水橋から、やや下流に架かる近代的なアーチ橋が「聖橋」で大正の関東大震災後の昭和3年に完成したのよ。本郷湯島側の湯島聖堂と駿河台側の二コライ聖堂を結んでいることから「聖橋」と名づけられたそうよ。
(神田川)
神田川祭の中をながれけり 久保田万太郎
かつて名を神田上水水温む 山尾かづひろ