2011年1月23日日曜日

I LOVE 俳句 Ⅰ-(3)

水口 圭子

 凍て星のまわりは陶器的な音楽   鶴巻ちしろ


先ず「陶器的な音楽」という言葉の新鮮さに立ち止まる。かつて音楽に対してのこの様な表現に出会ったことが無いと思う。

「凍て星」は「寒の星」のひとつ。寒の星は正に今一年中で最も寒さの厳しい季節の夜空にまたたく。寒中の夜空は澄み切っていて、どこまでも果てしなく深い。そして星は一段と輝きを増したかに鋭い光を放ち、高い所に登り手を伸ばすと届きそうに思えるくらいである。そのうちの一つをじっと見詰めていると、少しずつ大きくなって自分の方に近づいて来る感じがしたり、問い掛ければ心の中に飛び込んで来るように思える。だが今作者が見ているこの星は、寒空に凍りついたように動かない「凍て星」なのだ。どんなに繰り返し叫んでも、少しも応えてくれない・・・・・。

しかしこの作者は、凍て星そのものではなく、その周りの空間というか、凍て星を包む大気のようなところを捉えている。そこがこの句の重要なところであり、奥行きを深めている要素である。

「陶器的な音楽」とは、決して陶製の器どうしが触れ合ったり、器を叩いて生じて来るような音の響きではない。あくまでも陶器の質感から受ける、イメージとしての響きである。金属的でなく、とろりとなめらかな重量感もあるが、繊細。凛として透明感のある印象。そして何故か、哀しくもほの温かなぬくもりさえ感じらて来る音楽。それぞれが他者を思いやる時に浮かんで来る響きであるから。

そう、「凍て星」は死者の魂であり、「音楽」はレクイエムに他ならない。