2011年2月13日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(9)

佃島界隈/佃島
文:山尾かづひろ 挿絵:矢野さとし


佃煮屋天安

















【佃島】
都区次(とくじ): 今回は佃島を見てみましょう。古い佃煮屋さんがかたまっていて、お土産に買って行く人が多いですね。
江戸璃(えどり):佃島が離れ小島のため、時化(しけ)どきには住人は食べ物に困り、また漁期には腐らない副食物が必要だったのね。そこで湾内で捕った小魚類を塩辛く煮込んで保存食としたわけ。その後、千葉より醤油が入り塩煮から醤油煮に変わり、江戸市中に売りだされるようになったのよ。佃島で作られたので「佃煮」と命名されたというわけ。
都区次:徳川家康は関ヶ原の合戦の前に江戸へ移っておりますが、そのとき佃島へ漁民を呼び寄せております。この漁民は家康の出身地の三河国岡崎(現・愛知県岡崎市)の漁民ですか?
江戸璃:違うわよ。天正10年(1582)5月、岡崎城に居た家康は信長のお呼ばれで安土城へ行ったのね。帰りにわずかな家来と堺見物に行ったのよ。そうしたら6月2日に例の本能寺の変が起きちゃったのよ。信長が倒され家康は敵地に孤立したも同然。住吉大社を参拝しようと、そ知らぬ顔で大阪から神戸へ迂回という奇策に出たのよ。ところがギッチョンチョン途中の神崎川を渡る船がない。そのとき摂津国佃村の庄屋以下の漁民が船を出してくれて家康は無事三河の岡崎城にもどれたのよ。家康にとっては命の恩人よね。というわけで佃島へ呼び寄せた漁民は摂津国佃村の漁民なのよ。

(佃島)
薄暑はや日陰うれしき屋形船     高浜虚子
佃煮を量り売りして秋簾     山尾かづひろ