2011年2月13日日曜日

I LOVE 俳句 Ⅰ-(6)

水口 圭子


 一羽だけ来て白鳥の湖となる   越野雪子

白鳥を初めて見たのは何時のことだったろうか、定かな記憶が無い。多分大人になってからだと思う。最近でこそ、栃木県や群馬県の南部の沼などにも飛来するようになったが、子供の頃に身近に白鳥を目にすることは出来なかった。それ故、絵画や写真などに加え、童話の「みにくいアヒルの子」やバレエ音楽「白鳥の湖」、チェロでよく弾かれるサンサーンスの「白鳥」のイメージで、白鳥への憧れは可なり大きなものになっていた。そして、実物の白鳥は・・・・思いの外大きくて、やっぱり美しく、何度見ても期待は裏切られていない。

当然のことだが、日本では白鳥は冬の鳥である。肌を刺す位の冷たく澄んだ空気の風景の中でこそ、あの大きさと白さが引き立つのだと思う。
星座の中にも「白鳥座」と名付けられたのがある。天の川の上に翼を広げ、北から南に向かって飛ぶ形をしていて、「南十字星(Southern Cross)」と対比され、「北十字(Northern Cross)」とも言われる。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の中で、主人公ジョバンニとカムパネルラは、その北十字の横を通ってから、「白鳥の停車場」で列車を降り立つ。そこでカムパネルラは“白鳥を見るのは好きだ”と言っているのだが、それは賢治自身の言葉なのだと嬉しくなってしまう。

さて、掲句からは、作者の白鳥に対しての一方ならぬ思いが窺える。それまで鴨や鳰や鴛鴦などが浮かんでいた湖に、一羽の白鳥が突如ふわりと舞い降りた。たった一羽だけなのに、そこはもう、「白鳥の湖」となってしまったと言う。つまり、白鳥の持つ優美な静けさと気高さが与える、存在感の大きさを表している。白鳥は、どんなに恋い焦がれても決して手に抱くことの出来ない高嶺の花のように、永遠の美の象徴である。