2011年3月6日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(12)

佃島界隈/築地本願寺
文:山尾かづひろ









築地本願寺
都区次(とくじ): 聖路加国際病院の南側に築地本願寺がありますので行ってみましょう。この建物は関東大震災で崩壊した本堂を昭和9年に再建したもので、古代インド様式の異国風で、独特なものです。京都には東本願寺、西本願寺がありますが、そちらとの関係はどうなのですか?
江戸璃(えどり):京都にある西本願寺の築地別院なのよ。
都区次:元からこの場所にあったのですか
江戸璃:違うわよ。元々は浅草近くの横山町に元和3年(1617)に建立したものが明暦3年(1657)の有名な振袖火事で燃えっちゃったのよ。ところがギッチョンチョン、幕府は焼け跡に再建を認めず八丁堀沖の海上に替え地を下付したのよ。
都区次:何で同じ地に再建を認めなかったのですか?
江戸璃:幕府は火事をきっかけに江戸の区画整理を行ったのよ。この新しい地は海の上なので佃島の門徒が中心となって埋立を行って本堂の再建をしたのよ。「築地」という地名はそのときの土地を築いて埋め立てたことが由来になっているのよ。

築地派の御講淋しや普請中     正岡 子規
この裏が遺体安置所ソーダ水  山尾かづひろ