2011年3月6日日曜日

尾鷲歳時記(9)

まんぢゅう屋の話
内山 思考

長野泰一博士









春の土ぎゅうと握れば力湧く 思考 尾鷲(おわせ)市の名誉市民に長野泰一(ながの・やすいち)博士(1906ー1998)がいる。長野先生はウイルス抑制因子の発見者として知られる。後に英国学者が同じ物をインターフェロン、の名で発表し有名になった。岡山市にお住まいだったが、生まれ育った尾鷲をこよなく愛し、たくさんのエッセイに古き良きふるさとを書いておられる。

その中で、僕が最も好きなのが「まんぢゅう屋」という一文である。

-小学校の一年生の頃を思い出すと、眼に浮かぶのは咲いた桜の下でみんなが老先生の袖や腰にまつわりつくようにして遊んでいた光景である。(中略)その金津先生がある日、教室で、「先生も年とったので、学校をやめるんだが、何屋さんになったらよいだろうね」といった。我々一年坊主ども、ワイワイ、ガヤガヤ、議論を戦わした末、衆議一決、「まんぢゅう屋がよい」と答えた。(『うゐのおくやま』より)

 
半年ほど後、先生は小さなまんぢゅう屋を構える。当時、上菓子と呼ばれたまんぢゅうの思い出に触れながら長野先生はこう述懐する。金津先生がまんぢゅう屋になったのは、我々がすすめたからだ、と思っていたが実はそうではなく、先生の方から我々がそう言うようにもっていったのではないか、と。

老練な教師が小児の気まぐれで、余生の職業を選択するはずがない。そして、「きっと、そうだ、そうに違いないと思いながら、八十歳に近くなった今も、いや、先生はワシらがまんぢゅう屋がよいといったから、まんぢゅう屋になったのだという気がしてならない」と結んでいる。

博士から頂いた論文集
チンプンカンプンだけど宝物










晩年、尾鷲で記念講演をされた時、最後の質疑応答で僕は手を挙げて、「先生、ノーベル賞の可能性は如何?」と申し上げたら、「それは委員会の方に聞いて下さい」と笑顔で返され、会場大爆笑となったのも今は懐かしい思い出である。